振り返ると、私は人生の大半を『病気』と関わりながら生きてきました。
私が21歳のとき、父が食道ガン・喉頭ガンを患い、このとき父は、ありとあらゆる西洋医学の治療を受けました。抗がん剤治療、コバルト照射、そして手術。からだは日に日に衰え、手術をしてからは、食べることも話すこともできず、寝たきりで、胃に直接穴を開け(いろうの処置)、高カロリー食を注入して生きながらえている姿を見るのは非常に辛いものでした。
父を看取った後、その看病疲れから、私は慢性腎炎を患ったのです。その時私は「マクロビオテック」という哲学に出会い、玄米菜食で病気を克服することがで きたのです。私にとって、この「マクロビオテック」との出会いは、運命的なものでした。
月日は流れ、夫が37歳のとき、肝臓ガン両肺転移、余命半年と宣告されました。
手術はしてももう手遅れとのことでした。抗がん剤は、肝臓・肺にもあまり効く見込みがなく、「効いて1〜2割でしょう」というドクターの言葉でした。当時、長男は5歳。2人目の子どもをおなかに宿していた私は、その宣告後、間もなく流産をし、これからどうして生きてゆけばよいのかと本当に辛い日々を過ごしました。悶々とした日々を過ごしながら出した結論は、「マクロビオテック」の実践でした。『身体の自然治癒力』を信じ、食べ物を変えることで病気を克服するのだという強い思い。私が身をもって経験してきたことです。
家族のために一生懸命、無理をして働いてくれたその後に、大きな病に倒れた夫です。残された命がどれだけあるか判らないけれど、1日でも1時間でも多く家族と共に過ごせるようにと、仕事も辞めてもらい、転地療養をしました。丹波にあったマクロビオテックの食養道場をお借りしたのです。そこでひたすら自然を満喫し、子どもと遊んで穏やかな日々を過ごし、マクロビオテックに取り組みました。
玄米食を基本に食生活を正し、呼吸法や乾布摩擦も実行し、食・心・動の調和を心がけました。今から33年も昔でも、健康食品は多々ありましたが、どのような物を選ぶか考え、「不足しやすい栄養素を補う」ために健康食品を摂るようにしました。
からだにはいろいろな栄養素が必要とされています。現代では分析学が先行し、顕微鏡下でものを見る見方が往々にしてあり、そのため、全体を大きく捉えることができなくなってきているように思えます。
しかし、自然界の動物はそのようなことを考えて食べているわけではありません。
遺伝子に組み込まれた本能的な部分で、ごく自然に丸ごと食べているのです。一物全体、身土不二という食の理念です。そこに全ての必要な栄養素が含まれ、バランスを取っているのです。
人はそれぞれ一人一人、食歴、成育歴が違いますが、その人が生まれ育った土地の、歴史、気候といった、自然環境全体の中で培われる、「民族として遺伝子に組み込まれた揺るぎないもの」があると思います。それを全く考慮せず、食性が急激に変化してしまうと、体のどこかにゆがみが生じるのは何も不思議はありません。
食を見つめなおし、生き方そのものを変え、病気治しに専念し始めて半年くらいたった頃から、無数に転移していた夫の肺のガンは消え始めました。肝臓にはピンポン玉大の大きさのガンを残したままでしたが、病態は安定し生かされました。
そして夫は24年後に天寿を全うしたのでした。
今日に至るまで多くの方々が夫の体験を聞きに来られました。「がん患者学‐長期生存を遂げた患者に学ぶ-」著者の柳原和子さんも、その中の一人でした。
夫の経過は多くの医師の目に留まり、私たちの生き方に共感していただき、支援して下さる医師の方々も現れました。医療のこと、食養のこと、心のことで随時、専門的なアドバイスをいただく機会に恵まれ、私たちを力強く支え、導いてくださっています。
いつのまにか開店して32年の歳月が流れました。命の尊厳と向き合い、病むことの苦しみ、悲しみを共有し、共に生き、共に泣き、共に喜び合える日々を過ごさせていただいています。 そしてこれからも、私たちのささやかな体験を通じて、未病・予防医学の発展に寄与し、心身の健康提案をしてゆくことで、少しでも多くの方のお役に立ち、病気で苦しんでいらっしゃる方々の一筋の光になれたら幸いです。(2011/6/20)
夫の余命が半年と告知きれたとき、5歳の長男を抱えた私は奈落の底に突き落ときれた思いでした。
夫は37歳、職場の定期健診で原発性肝臓癌両肺転移と診断きれたのです。
でも、泣いている場合ではありませんでした。私たちは自然界の動物に習い、自然な方法で病気治しに取り組む決心をしたのです。
それは、夫の生き方を尊重するためでした。私たちは即、田舎に転地療養を試みました。
そしてわずか半年後には、無数にあった夫の肺の癌は自然退縮したのです。肝臓癌はピンポン玉大で残っていましたが、私たちは大きな成果が得られたことを実感していました。そして2年後、夫の養生の途中ではありましたが、自らの病気治しの体験を多くの方々に伝えたいとの強い思いから、私たちは自然食品店を開業し、精カ的に括動を展開し始めたのです。『命は食なり/食は命なり』を合言葉に。
けれども仕事の忙しさに、次第に養生を疎かにした結果、発病から19年後、夫は原発性肺癌が新たに発覚したのです。レントゲンで胸水の貯留も確認きれました。
言い知れぬ不安を感じ、私たちは改めて養生の大切さに思い至ったのです。それからすぐに、自宅での養生に踏み切りました。
私たちは過去に、自然治癒カを高めることで肺癌を消した経験がありましたので、迷いはなく、気持ちを立て直すことができました。
食事は玄米食をしていましたが、夏ごろから夫は暑さで食欲を落とし、どうしても玄米が喉を通らなくなってしまいました。理屈では玄米が体に良いと解っていても、身体が受け付けない状態でした。それでも、胸水をとりのぞき、癌の進行を抑制するためには、玄米食を欠かすわけにはいかない、なんとかおいしく食べられて、病態の改善が図れないものかと、私は日夜考えました。
自らの体験や、多くの患者様の相談を受ける中で、理論的・体験的に学んできた食べ物の薬効についての知識を総動員して―。
そしてふっと閃いたのが黒米・ハトムギ・玄米の組み合わせでした。
お粥よりも更に喉を通りやすくするために、重湯にしました。すると夫は『これは旨い』と言って、とても喜んで飲んでくれたのです。
この重湯は、それぞれに特徴のある薬効の高い穀物を組み合わせ、じっくりと時間をかけて抽出したエキスが詰まったものです。
食欲のなかった夫も、美味しく飲むことができたことが、私にとっては大きな心の安らぎとなりました。
そして私の期待通りの結果を引き出すことができたのです。夫は『あと半年』『あと半年』と主治医から言われながら病態を改善し、37歳の発病から24年、生かきれたのです。
今、『黒米母湯』は、医師、管理栄養士、助産師の方々から注目きれ、ロコミで全国に広がり、多くの体験が生まれています。
術後の回復期の方、食欲がない方、また離乳食期の赤ちゃんなど、老若男女を問わず愛用いただいています。特に、幼い子供さんほど本能的に解るようで、
『黒米母湯』をゴクゴク飲み干してくれたとの喜びの声をたくさんいただいています。
また、『黒米母湯』は、代替医療先進国のアメリカでも認められ、特許取得も実現しました。夫のために作った重湯が、
今『黒米母湯』として、皆様に愛きれ、育てられ、いつの間にか、大きな喜びの輪となって広がっていることをありがたく、幸せに感じております。
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